明けましておめでとうございます(午年編)

坂本 剛

2014年01月06日 11:07

明けましておめでとうございます。

既に始動されていらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、多くの方の仕事始めが本日(6日)からではないでしょうか?
本年もよろしくお願いいたします。

今年の干支は午(うま)ということで、丙午(ひのえうま)生まれの私は年男です。丙午は60年に一度の珍しい年まわり。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、「ひのえうま産まれの女の人は、気性が強く、夫を殺すことがある」という迷信の影響で、1966年の丙午の出生率は、前後の年に比べ約27%の減少しました。いわゆるひのえうま伝説です。

伝説の発端は、ネットで調べてみると、江戸時代に起こった八百屋お七の放火事件です。

天和の大火で自宅が焼け、批難したお寺で出逢った男性・庄之介と恋に落ちた八百屋の娘お七とその家族は、一旦お寺を引き払います。しかしながら、庄之介への想いは募るばかりで、彼を再び会いたければ、火事になればよいと自宅に放火してしまいます。火はすぐに消し止められ小火(ぼや)にとどまりますが、お七は放火の罪で捕縛されて火あぶりに処された、というのが事件の概要です。

そのお七が1666年生まれの丙午(ひのえうま)だったことで江戸時代以降にこの迷信が広まったそうです。

話を戻しますと、私の同世代の人口が少ないおかげで、子供の頃から「競争が少ないゆとり世代」と言われ、ある意味「バカにされて」きました。確かに前後の学年に比べ、クラスの数も1クラス少なかったですね。

一方、高校時代は、共通一次試験の科目が5教科7科目になり、理科Ⅰや現代社会といったゆるい新たな科目が新設され、浪人世代より圧倒的に現役での大学受験が不利だと言われましたが、結果、それを覆す実績を残したのではないかと記憶しています。

また、大学卒業の時期がバブル絶頂期の平成元年だったので「バブル世代」と揶揄され、企業では「使えない」世代と言われ続けてきました。

そういった経緯もあり、自分が生まれた干支には非常にこだわりがあります。

更に話しを戻します。なぜ、丙午の話をしたかというと、12年後、つまりあと干支が一回りすると丙午がやってくるからです。丙午は60年に一度ですので、私(今年で48歳)は還暦(60歳)を迎えます。

私自身の今までの人生を振り返ると、約10年ごとに大きな変化が訪れています。私は、2004年の1月に民間企業から九州大学の知的財産本部に籍を移しました。つまり、産学連携分野に自分のキャリアを移して今年でちょど10年という節目を迎えます。

今私が考えているのは、今年から始まる次の10年を、少し期間を延ばすと、次の「年男」までの期間をどうやって勝負していくか、ということです。

自らを分析してみると、

・産学連携という大学(川)と産業界(海)の間の汽水の分野について知見・経験がある。
・国立大学法人の特定関連会社ながら経営の経験があり、一方、工学の知識・経験(エンジニア)があるMOT型人間である。
・人的ネットワークの構築についてはある程度実績がある。
・大学の技術の事業化について、ゼロから1を生み出すインキュベーションの経験がある。

といった強みがあるのではないかと思っています。この強みを掛け合わせた「何か」を作り上げ、更に成果を出すことが、これからの10年、12年の私のミッションだと考えています。

具体的に始動した際にはみなさまにはいろいろお世話になると思いますが、今後ともご支援・ご指導方よろしくお願いいたします。

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