2008年05月08日
柔道とJUDO
昨日は、夕ご飯を食べたあと眠くなり、ふと気がつくと11時半を過ぎていました。
なんだかんだと疲れが溜まっていたのでしょうかね・・・。
それで、一旦目が覚めるとなかなか寝ることができず、テレビを付けると、柔道のオリンピック代表の選考過程を追ったドキュメンタリー番組が放送されていました。
男子100キロ超級の代表にフォーカスを当てていました。結局、井上康生は全日本選手権で破れ、引退を表明。
最右翼だった棟田康幸を破り、全日本選手権を制した石井慧が代表の座を射止めました。
番組では、今年初めに行われた代表候補選手を中心としたヨーロッパ遠征の様子を追っていました。
柔道の国際試合をテレビでみて思うのは、ヨーロッパの「JUDO」と日本の「柔道」の違いです。
きれいにワザを決めてあくまで一本勝ちにこだわる日本の柔道。
泥臭くても、ポイントを稼ぎあくまでも勝ちにこだわるヨーロッパの「JUDO」
どちらがいいということではありませんが、柔道が世界中に広まった、いわゆるグローバル化された現在では、ヨーロッパのJUDOと戦っていかなければなりません。ちなみにフランスの柔道競技人口は、日本よりはるかに多いそうです。
つまり、柔道大国は日本だけではないのです。
その環境の変化に気付き、自分の柔道を変化させてさらに強くなっていくのか?あくまで自分の型(一本を目指す)にこだわり続けていくのか?といった視点で代表候補を番組では分析していました。
これは非常に面白い視点だと思いました。ベンチャーの業界でもよくいわれることと似ているからです。
「強いものが生き残っていくのではなく、環境変化に対応できる柔軟性を持ったものが生き残る」
今回代表の座を射止めた石井慧さんは、まさにそれを実践していました。
繰り返しますが、どちらがいい、悪いではなく、産業やその業界がグローバル化すると、そのような視点をもたないと生き残っていけないということです(柔道でいえば、個人的には井上選手の勝ち方が好きです)。
その業界・産業のマーケットを広げようとした結果、本来もっている良さを捨てなくてはいけなくなる場合がある。。。
ある意味「合成の誤謬」状態なのです。
そんなことを考えた昨日(というか今日)の真夜中でした・・・。
Posted by 坂本 剛 at 12:18│Comments(0)
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