大学の産学連携組織で大学発ベンチャーの支援を行いながら2008年3月に無事QBS(九大ビジネススクール)を修了しました。そして、2010年4月からは、産学連携的な会社の代表取締役社長に就任。2014年6月に任期満了により退任し顧問として活動しています。大学まわりの情報や産学連携に関する情報を独自の視点で発信していきたいと考えています。

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2014年07月01日

【ご報告】産学連携的な社長退任

昨日(6月30日)に開催した産学連携機構九州第15回定時株主総会終結をもって代表取締役社長を退任いたしました。

九州大学の特定関連会社の代表をなんとか4年間続けられたのも、九州大学はじめ、地域経済界のみなさま、SAM会を中心とするベンチャー支援ネットワークのメンバー、社員のみなさん、そして家族のおかげだと思っております。改めて感謝申し上げます。

ちょっとだけ、社長就任の経緯から今にいたるまでを思い返してみますね。

私は、2004年に九州大学が産学連携組織(知的財産本部)の立ち上げる際に、九州大学の教員にお誘いいただき、民間企業から産学連携分野に身を投じました。

仕事は主に大学の研究成果の事業化を目指すプロジェクトの支援、大学発ベンチャーの支援です。

その後、働きながら九大ビジネススクールに通い、2008年に無事修了しました(経営修士(専門職)。

一方、産学連携機構九州(九大TLO)は、知的財産本部設立から遡ること4年前、2000年に地域の経済界の絶大なる支援を受け設立された承認TLOです。

当初は、教員334名の個人出資で設立され、2008年には、九州大学が既存株主から株式の譲渡を受け、九州大学の特定関連会社(企業でいう子会社)になっています。

2004年に国立大学が法人化し、知的財産を独自でマネジメントできるようになって以降、全国的にTLOの清算、統廃合が行われる中、2009年くらいから産学連携機構九州を今後どうするかの検討を知的財産本部を中心に議論を始めました。その際に、改革案を具体的に検討したのが私でした。検討結果は、国立大学法人が保有することができる唯一の企業として産学連携機構九州を維持し、技術移転はもとより産学連携関係の新規事業展開をやるべきた、というものでした。また、当時、九州大学の理事が社長を兼務していましたが、専任の常勤経営者を置くべきだと提案しました。

じゃあ、誰がやるのか?という話になりますよね。。。改革案を考えた人がやるべきということで、4年前の2010年3月19日の臨時株主総会で取締役に就任、3月末に九州大学を退職し、4月1日に代表取締役社長に就任しました。

なので、よく「坂本さん、どこからの出向ですか?」と言われましたが、そうではないのです。私自身相当悩みましたが「新しいことにチャレンジしよう!」と、退路をたって産学連携機構九州の代表に就いたのです。

当初は、九大ビジネススクールでビジネス・マネジメントを学んだものの、学びと実践はまったく別物で、悩んだり落ち込んでばかりでした。

さらに、前述のとおりTLOという組織は、国の支援が終了した後、九州で内で清算が続いていて、いろんなところに挨拶にいくと「坂本さん、貧乏くじ引いたね」とか「火中の栗を拾ったね」とよく言われたこと、今でも覚えています。

そのような状況の中、まずは、会社の存在を知ってもらおうといろんな会合に顔を出しました。おかげさまでこの4年間で体重が4キロ増えてしまいました(笑)。

そうやって試行錯誤と続けているうちに、産学連携を活用した地域活性化のプロジェクトを受注したり、協議会の事務局の運営をお願いされたりと仕事をいただくことができ、無事に4年間黒字を続け、キチンと税金(法人税)を払うことができました。

今回の退任についてよく言われたのが「坂本さん、なぜ退任するの?」「何かあったと?」「ずっとTLO(産学連携機構九州)の社長やると思ってた」ということです。今回の退任の理由について、基本的にネガティブなことは全くなく、大きく2点あります。

1点目は、九州大学内で、産学連携機構九州の位置付けがキチンと行われるようになったことです。
社長就任当時は、2008年に九州大学の特定関連会社になったとはいえ、そもそも教員の個人出資、地域経済界の支援を受けて設立された会社だったので、学内での認知度も低い状況でした。その後、実績を積み重ねることにより、この4年間で学内、特に理事クラスでの認知度も上がり、大学としてもこの会社を特定関連会社としてキチンと位置づけて、支援していくといった流れになりました。そうなると社長のポストも公的な地位として位置付け、総長や理事、研究院長のように任期を決め、そのポストをきちんとマネジメントしていこうということになります。

一方、産学連携機構九州の社長の任期の上限は特に決まっていませんでしたが、担当理事と相談の上、今までの社長で4年を越えて務めた方がいないこと、また、6年だとちょっと長いということもあり、今後、産学連携機構九州の社長の任期を4年とし、人事ローテションしていこうということになった次第です。なので、次期社長も、任期は4年となります。

大学の産学連携スタッフが産学連携機構九州の社長になり、経営実務を経験する。4年後に学内にもどり、その経験を学内組織や大学運営の活性化に活かす。そういった産学連携人材育成システムが、九州大学をベースにできあがるといいなと思っています。

そして、昨日の株主総会には、2008年に九州大学の特定関連会社になって以降、初めて株主として、代理ではなく有川九大総長自らご出席していただくことができました。これは本当に嬉しかったですね。4年間の実績について総長に直接ご報告できたことは、九大のOBであり、かつ、九大の子会社(特定関連会社)の社長を務めさせていただいた私にとってはこの上ない喜びでした。

2点目は、私自身、産学漣家機構九州の社長をずっとやろうと思って社長を引き受けたわけではないということです。私が社長に就任する際のモチベーションは、

・九大ビジネススクールで学んだ知識を活かし、経営実務を経験したい
・まずは経営状況を改善する
・技術移転はもとより、産学連携に関するどういった新たな事業展開ができるのかを実証したい

ということでした。この4年間、黒字を続けたことで内部留保も増え、経営状態も安定してきました。また、産学連携に関する様々なプロジェクトを実施することにより、国立大学法人が直接関与できない(にくい)事業のニーズ発掘もすることができました。更に、地域経済界での認知度もアップし「産学連携機構九州と言えば、九州大学関連の会社だよね」と言われるようになったことも嬉しい成果の一つです。

一方、私自身、以前から産学連携、特に、九州大学を中心とした大学の研究成果の事業化をもっと加速できないかということを考えていて、一年半くらい前から詳細はまだ言えませんが、新たな支援スキームの検討を仲間とともに行ってきました。中々話が進まなかったのですが、そのプロジェクトが今年に入りようやく具体化してきました。本来であれば、この退任の時期までに立ち上がればよかったのですが、そううまくはいきません。具現化に向けてもう少しチャレンジしたいと思っています。

なので、「坂本さん、退任した後どうすると?」「どこで働くか決まっとるんやろ?」と「よく」「よく」聞かれましたが、年内の立ち上げを目標に、もう少し大学発技術の事業化を支援するスキームの構築に取り組みたいと思っています。

このプロジェクトが100%立ち上げるという保証はありません。ただ、全く話にならない、まだまだ数年かかるということであれば別ですが、もう少し頑張ればいけるところまで話が具体化してきている中、せっかくつかんだチャンス、機会を活かしてみたいと思った次第です。

基本的には、社長を退任するので、個人の立場になるのですが、このプロジェクトに向けて活動するために、昨日総会後に開催された取締役会で私への顧問の委嘱を決議していただき、今後は当分の間「産学連携機構九州 顧問」の立場で活動をしていく予定です。

4年間、いろんな方に支えられ、なんとか職務を全うすることができました。改めて関係者、家族に感謝いたします。ありがとうございました。

そして、今後ともよろしくお願いいたします。

あっ、このブログのタイトル「産学連携的な新米社長日記」。今回の退任に合わせて変えなくちゃいけませんね(笑)。「産学連携的な新米顧問日記?」ちょっとタイトル考えてみますー
  

Posted by 坂本 剛 at 15:15Comments(0)産学連携機構九州